- 徳島 霊山寺
- 霊山寺は高野山真言宗の寺院で、四国八十八箇所霊場の第一番札所、つまりお遍路の出発点です。四国お遍路巡りの準備をはじめる「発願の寺」の役割を担っていて、親しみを込め「一番さん」とも呼ばれています。奈良時代に聖武天皇の命により行基によって開かれました。その後、空海が訪れ21日間の修行をしたと言われています。
- 徳島 農村舞台
- 神社の境内にひっそりと佇む農村舞台が建設され始めたのは幕末期のことといわれています。全国各地に造られた農村舞台の多くが歌舞伎用舞台であるのに対し、徳島の農村舞台は人形浄瑠璃のためのもので、特徴として浄瑠璃語りが座る太夫座があります。毎年約10ヶ所の舞台で行われ全国一の現存数を誇っています。
- 徳島 小歩危
- 小歩危は吉野川中流域に位置し、2億年の時を経て吉野川の激流によって創られたダイナミックな岩々が連なる渓谷で、彫刻がそりたったような奇岩怪石と小歩危砂岩片岩と称される岩肌が神秘的な美しさです。小歩危峡の水流は日本一の激流と言われ、世界有数のラフティングの名所にもなっています。
- 徳島 阿波しじら織り
- 阿波しじら織は、シボという独特の凹凸による縮れような感触が特徴で、縦糸と横糸の本数と組み合わせによる張力差によりシボが生み出されています。阿波阿宅村の織女“海部ハナ”が雨に濡れそぼって縮んだ布に出来た凹凸をヒントに苦心研究の末考案したといいます。
- 徳島 船窪つつじ公園
- 標高1060mに位置する船底形の窪地に、まるで植栽されたかのように群生している約1200株のオンツツジは、国の天然記念物にも指定されています。樹齢400年を超えるものや、一株から20数本の主幹をもつ巨大なオンツツジも多く、これに匹敵する群落は類をみません。5月中旬から見頃を迎え、山肌一面が燃えるような朱色に染まります。
- 徳島 半田そうめん
- 地の利を生かし作られる、強い歯ごたえと喉越しの良さ。その美味しさは半田そうめん音頭にも歌われます。特徴的なのは太さで、分類上はひやむぎですが、半田手延べそうめんは、江戸からの文化も含みそうめんと表記します。標高差が300mある半田の町。熟成時間や水、塩加減等は製造所によって変わり、その違いも楽しめます。
- 徳島 わんわん凧
- 江戸時代、阿波名物鳴門大凧には地域ごとにたくさんの種類があり、その中で撫養町のわんわん凧は横綱と言われました。かわいらしい名前は、蓮花寺本堂再建のお祝いに、棟梁の又右衛門は大凧をあげ、丹塗りの椀(わん)に鏡餅を盛って人々に振る舞ったことが由来と言われています。今では元旦を祝う行事として親しまれています。
- 徳島 門松作り
- 門松はお正月に年神様を迎える目印であり、またその依り代として家の前に置かれます。平安時代頃よりあったとされ、初めは松のみを飾るものでした。松は葉が落ちないので縁起が良く、神の宿る木と言われます。また繁栄を意味する竹を斜めに切ったのは徳川家康と言われ、負けた戦の悔しさを忘れないためでした。
- 徳島 神山町しだれ桜
- ゆうかの里、江田菜花の里、神山森林公園、さくら街道。神山町花の町の歴史は平成以降に始まります。町をあげて、しだれ桜の風景を作ろう、未来へ残そう、という活動のもと少しずつ今でも増えています。降りかかるかのようなしだれ桜のトンネルや菜の花、レンギョウの彩り。
ピンクと黄色の見事なコントラストで埋め尽くされます。
- 徳島 阿波踊り
- 「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」のお囃子で知られる阿波踊りは、400年の歴史を持ち、毎年8月12日から15日まで4日間の開催中人出は約130万人、踊り子は約10万人が繰り出します。
- 徳島 祖谷のかずら橋
- 長さ45m、幅2m、谷からの高さ14mでかずら橋。祖谷川の清流にその影を映す悠然とした姿は、四季を通して自然と調和した美しい景観を生み出します。
冬場の厳寒な山野で採取した自生の「シラクチカズラ」を編み連ねて創られいます。
- 徳島 鳴門の渦潮
- 鳴門市と淡路島との間の鳴門海峡では、潮の干満によって渦潮が発生します。
春と秋の大潮時に最大となり、潮流時速20km、最大直径20mにも及ぶものがあります。
百雷のごとくすさまじい轟音を立てて渦潮が交錯しながら流れていくさまは壮観です。